「終末のワルキューレ」本誌 第43話のネタバレ解説。富田勢源の道場を後にし、負け続ける旅に出た小次郎。強者とのみ戦い続け、最強を求めた彼が行き着いた先とは……。
本誌 第43話「最強の敗者(3)」のネタバレ
「終末のワルキューレ」の概要
人類の誕生から700万年。万物の創造主である神々によって1000年に1度開かれていた「人類存亡会議」にて、進歩の兆しがない人類を見限った神々は人類に「終末」を与える決議を行った。かくして、天界が誇る最強神たちと、秘術「神器錬成」によって神器と化した戦乙女たちと共に戦う最強の人類「神殺しの13人」(エインヘリャル)による、13番勝負の幕が上がる。
前回 第42話のおさらい
・自然の中の師
・小次郎の才
・頭の中での立会
・そして数年後……
前回のネタバレはこちら
「終末のワルキューレ」本誌 第43話のネタバレ
修練の日々
小次郎の家へと足を踏み入れた富田勢源は光を失った目で強者達の気配を察知する。
それは小次郎が想像の中で立会ったであろう剣士たちだった。
小次郎の家の壁や柱に刻まれた深い傷を手でなぞり、その凄まじい修練の日々に驚嘆する勢源。
小次郎は「みなさんを超えるのには4年と9ヶ月もかかってしまいました」と飄々と答える。
傷だらけの室内には小次郎が戦ったであろう剣士たちの名前が張り紙されており、その尽くにバツ印の切れ込みが入れられていた。
富田景勝、富田景政、鐘巻自斎という張り紙が並ぶなか、家の奥へと足を進める勢源。
誰に見せるわけでもなく誰とも戦わず、ただ強くなるために独りで修練を続けた小次郎に勢源は感嘆の声を漏らすのだった。
そしてたどり着いた突き当りの壁に刻まれた一際大きな亀裂に勢源は触れる。
その亀裂の上には富田勢源と書かれた張り紙があり、その亀裂に以前小次郎に見せた自らの剣気を感じ取った勢源は小次郎が自分を超えたことを理解するのだった。
負け続ける旅
小次郎から振る舞われたお茶の不味さに辟易とする勢源だが、小次郎は「その辺の葉っぱですから」と悪びれずに答える。
勢源は小次郎を朝倉家の指南役に推挙することを提言するが、小次郎はこの地には楽しいことがないと越前を出ることを伝える。
どこへ行くつもりなのかと、小次郎を気遣うように訊ねる勢源。
それに対して小次郎は「負け続ける旅に出ようと思います」と笑顔を輝かせながら答えるのだった。
こうして富田勢源の道場を出て以降の佐々木小次郎の足取りは杳として知れず。
ただ一つ確かなことは、その後も佐々木小次郎は負けに負け続けたということのみだった。
名だたる剣豪たち
一刀流道場で伊藤一刀斎景久に負け、「未熟」という言葉を貰う小次郎。
しかしその伊藤一刀斎さえも超え、その名前を書いた紙を破り捨てる。
柳生道場で柳生石舟斎宗厳に指南を乞う小次郎。
再び立会に敗れ降参する小次郎だが、いつものように石舟斎を乗り越えその証の紙を破り捨てる。
そしてさらなる強き者を求め続けるのだった。
小次郎は新陰流の開祖である”剣聖”上泉伊勢守信綱に地に伏して指南を乞う。
大の字に倒れ込み「参りました」と宣言する小次郎を置いて涼しい顔で去っていく剣聖。
このように小次郎は自らが到底勝てない相手を求め続け、その敗北から乾いた大地のように吸収し続けた。
負け続けたまま最強へ
滝壺にある岩に座り込み、目を瞑って八相の構えをとる小次郎。
そこへ飛来した燕に小次郎は目を閉じたまま剣を振り上げる。
しばらく何事もなく飛び続けた燕だったが、その身体はクチバシから尾にかけて真っ二つに両断されていた。
なぜ佐々木小次郎が巌流島の決闘まで無名であったのか。
それは彼が負け続けたまま最強を目指したからに他ならなかった。
串刺しにしたヘビや魚などを焚き火にかざして焼く小次郎。
彼は一枚の紙を火に投げ込むと「頂戴いたす」と手を合わせ、獲物にかぶりつく。
小次郎が「うまい!!」と串を掲げる様子を満月が照らし出している。
こうして史上最強の敗者(ルーザー)は誕生したのだった。
44話へと続く
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準備中
43話の感想・考察
想像での戦い
富田勢源が訪ねた小次郎の家は室内に何本もの太い柱が設置された無骨な造りでした。
おそらく修練をするために敢えて設計されているのだと思いますが、あらゆる部分が切り込みだらけになり天井にすら切り傷がある様子は壮観です。
この想像で戦い相手を超えるという小次郎の修行法は実際には効率が良さそうには思えませんが、だからこそ小次郎の特異な才能が感じられます。一度の立会で相手の戦闘力を完全にインプットし、それを超えるまで頭の中で戦い続けることができる。
ポセイドン戦でも小次郎のこの能力が戦いのキーポイントになりそうな気がします。
自然の中で研ぎ澄ます小次郎
常に自然の中に学ぶものを求める小次郎は大人になってもそのスタイルを貫いていました。獲物を獲って獣肉を食べるこの生活は動物性タンパク質が十分に摂れるため、当時の食習慣を考えると理にかなっていると感じますね。
栄養学の知識などがなくとも小次郎は本能で自分に必要なものが分かっていたのでしょう。
ちなみに明確な描写はありませんでしたが、滝での瞑想中に両断してしまった燕も無駄にせず食べていてくれたなら嬉しいです。
ぶった斬ってそれっきり、というのはあまりにも可哀想なので……。
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